『母親ばかりが怒って父親は全く怒らないのですが、
それって大丈夫なんでしょうか?』
ふとチャンネルを変えていて
こんな言葉が目と耳に入ってきたら、
親ならばそこでチャンネルを止めてしまいますよね?
おはようございます♪
沖浦です。
少々お付き合いいただければと思います。
今日は『ほんまでっかTV』です。
見ました?
ついつい見てしまうあの番組です。
で、今週の議題は『子育て』についてでした。
その中でも一番興味を惹いたのは冒頭の質問。
なぜなら我が家も全く同じだからです!
これは、実は正解らしく、
女性の方が的確に間違ったことを指摘してあげられるからだそうです。
同じ絵を男女に見せて間違い探しをしてもらった結果、
圧倒的に女性の方が間違いに気付いたと実験があるらしいのですが、
どうやら男性は細かい部分には気が付きにくい習性とのことでした。
でも、お父さんは全く何も言わないのが良いのか?
と言えばそうではなく、
お父さんの役割としては、出掛ける前に家の玄関で、
『危ないから勝手に道に飛び出すなよ!』とか
『ご飯食べに行った時は、騒いだらダメだよ!』
といったような注意をしておくと良いとのことでした。
例えばレストランにいった時に、
子供がガサガサしだしたとして、
前もって何も注意してなかったら、
その場で注意したとしても全くなおらないらしく、
逆にあらかじめお父さんが家を出る時に注意をしておくと、
お母さんがその場で怒った時に、
子供への効き目が全く違うようになるとのことでした。
また、どっちかが怒り、どっちかがなだめる
という役割分担は、子供にとっても分かりやすいらしく、
どっちも甘いとか、どっちも怒るは、
子供が混乱するだけとも言ってました。
これはごもっともですよね。
そして、子供を怒る時にもどうやらコツがあるらしく、
そのコツとは『必ず逃げ場をつくってあげること』らしいです。
そうしないと逃げ場を失った子供は非行に走るようになるからとのことでした。
うちの子供たちも来年は中学3年生と中学2年生になり
これから思春期に入るので、この当たりの情報を踏まえ
しっかり対応していこうと思います・・・・
弊社打合せルームには24インチのモニターを二つ並べて
3DのCADソフトで間取りを確認し、瞬時に立体にしながら、内観、外観を確認する事ができます。
実際の部屋を歩いてみたり、子供の視点や大人の目の高さで室内空間の見え方を確認できたり、
実際にメーカーで取り扱っているキッチンやシステムバス、壁紙、外装を落とし込む事で、
実際立てる建物に限りなく近い建物を、かなり高画質で確認する事ができます。
更には、建築基準法に適合する住宅かどうかもすぐに確認できるすぐれたソフトです。
昔、私が大手住宅メーカーに在籍していた時にも専用のCADを、
何億円、もしくは数十億円かけて開発し使っておりましたが、とてもこのレベルではなく、
プレゼンなどできるわけもなく、平面図、立面図を作成するのがやっとの事でした、
大学で建築を学んでいた時はCADなどはなく、
ドラフターか平行定規を使って図面を作成していたものです。
でも、この変化が数十年という変化ではなく、12~13年程度の期間でここまで
進化してきたのです。
手書きで図面を書くのも味があっていいですが、
やっぱり一度、このようなシステムを使うと、
もう元には戻れないな~と本当に実感しています。
お客様と打合せする時も、お客様の要望する物にすぐ答えられるのが、
本当に楽しくプレゼンができ、いつもお客様に感動していただけるので、
この打合せの時間が本当にスキなんですね~
3月21日(土)、3月22日(日)は経過5年建った、エイジングハウスで建てたお家を
見ていただけます、完成後すぐの見学会は最近はどこの工務店でも
行っていますが、経過5年経った見学会はあまりないかと思います。
自信があるからお見せできる、
当日もすぐ打合せできるように、この3D CADを準備してお待ちしております。
映画はとにかく良く見ます。
DVDも多いですが映画館にもよく行きます。
しかしながら、31歳にもなると
小さい頃に映画に抱いていたドキドキなんてなくなります。
当時に比べればCGやVFXが今より乏しかったはずで
しかしながら合成丸出しでも僕らは興奮していた。
今では映画に対して「こんなのは男の勝手な理想だ。」とか
「いくらかけてんだろ」とかセコいことしか考えなくなってしまう場合も多々あり
夢と現実の区切りがしっかりできてしまった分、
ドリーミーなものを観ると辟易してしまうんですね。
じゃあなぜそんな映画のグチしか言わない人間が映画好きなのかと言うと、
それは今回とは関係があまりないのでまた機会があればお話しします。
とにかく、私のように映画に対してドキドキを失ってしまい
映画館にも足を運ばなくなった大人の皆さんへ。
「インターステラー」。あの巨匠クリストファー・ノーランの逸品です。
ご覧になった方もおられると思いますが、
肝を抜かれる、いや肝を抜かれ続ける映画にございます。
この年末年始で私、お恥ずかしい話この映画を劇場へ2回も行きました。
もう何が凄いとか詳しくは話しませんが、現実のような夢の世界の旅を是非一度。
もしかするとドキドキを取り戻せるやも知れません。
私に関しては、終始手汗が止まらず大変なことになりました。
残念ながら劇場公開は終了してしまいましたが、、、
どこか劇場で再公開された時に観に行って下さい。DVDはおすすめ致しません。
あれだけ人を興奮させるようなモノを作ることはなかなか一生で出来る人はいませんが
日々の仕事でも、ほんの小さなことでも人を感動させるようになれたらなと
綺麗にまとめれず、無理やり終わらせるこんな私はまだまだ2百年はかかるな。
記事/もーりー
昨日は1/24、1/25
の新商品発表会の準備でした!
みんなで、なにか一つの目的に向かって準備をするのは
もちろん意見の衝突もありますが
やっぱり、いいものですね!
それぞれが忙しく仕事をしていると、
コミュニケーションが取れない事も多いですが
準備に体を動かしながら、みんながいろんなアイディアを持ち寄り
ああでもない、こうでもない!自然と楽しくなります!
いいコミュニケーションの時間になりました。
今日は、ユニバーサルデザインの必要性セミナー
で、これからの高齢社会に必要な家とは何なのか?
しっかりメッセージしたいと思います!
あけましておめでとうございます。
さて、前回の続きとなる元祖コスパの話ですが
まず最初に、pt.1は本筋から逸脱しているのでは?
とか
コスパの言葉自体が分からない、などなど
多くの方よりコメントが寄せられ……
ることはなかったのでこのまま話を進めていきます。
私たちの会社にも、やはり今の世の風潮に漏れることなく
安い・早い・旨い、が求められています。つまりコスパです。
これに関しては、できる限りのことはさせて頂く所存です。の一言に尽きます
が、
やはり私はここでそういった仕事の話や、
他社がどうとか今業界はこうとかの話、
するつもりは一切ありません。
見ての通り、テーマは「その他」ですので。
コスパをタイトルに挙げながらも可能な限りその話から逸れたい。
でも前回はひどかったと確かに自分でも思うので
今回はそもそも何故今更「コスパ」の話をしようと思ったのかを綴りたいと思います。
私たちの会社内にはお菓子ボックスなるものがあり、
それぞれがどこかで買ってきた、または頂いてきた菓子類を共有し
無くなればまた誰かがその入れ物に補充するという
米国企業はほぼ導入している菓子CS(クラウド システム)を始めた。
※真偽は定かではない。
ちょっとした息抜きにはなくてはならないシステムで
これが存続の危機にさらされるということは
時を同じくして我が社自体が傾いているということに他ならない。
ある日、営業で私の先輩にあたるTさん(彼は俳優の寺島進に似ている!)が
うまい棒という日本人の認識率が最も高いであろう菓子を数本買ってきた。
彼は一本10円もするその菓子を社内で配るという豪快な益荒男ぶりを見せつけ
ひとしきり女性社員をしびれさせたあと、
菓子を頬張り、どういう了見なのか急に男泣きをし始めた。
理由は長くなるので要約すると「単にうまい棒がうまい」らしい。
それを無表情で傍観していた社長も数日後、泣いていたを私は見た。
いつの間にか社内では
「うまい棒のコストパフォーマンスが凄い」
と誰からともなくそういう話が日に何度も出るようになり
そして遂にある日
先日、関西エリアの成果を出し続けている
工務店が集まるセミナーに参加してきました。
今は冬
それは知ってる
事務所の空き地に置いている
梨の樹
それは知らない
9月に花が咲いた
一つだけ
それも知らない
季節外れの けなげな花
頑張って成長してくれた
ゴルフボールとソフトボールの
半分ほどの大きさの実
今 収穫してテーブルの上にあるんだ
食べていいのだろうか
誰も知らない
最近、 「価値が生まれる瞬間」
をどうすれば作り出せるかを考えています。
ちなみに私にとって(そして他の人にとっても)最も大きな価値を生み出す瞬間はアイディアが閃(ひらめ)いたときではないかと思います。
たとえば、「仕事上の効率化の仕組みが頭のなかで思い浮かび、簡易なメモにまとめられた瞬間」に99%の価値が生まれ、
「そのメモを実際のシステムに落とし込んだり、その内容を落とし込んだチラシを作ったり」
行為には極端に言えば、残り1%の価値しかない、
と思っています。
あらゆる価値の源は、
「アイディアが閃くところ」にあるのだと思います
とはいえ、
いくら自分の生み出す価値を最大化させたくても
閃きの瞬間を無限に増殖させることは不可能で、
どれだけ机の上に向かっていても
「出てこないときはなんにも出てこない」
こともあるものです。
それでは困るので、
いろいろ試行錯誤してきたわけですが、
結論としては、閃きの瞬間を増やすためには、
(一見、矛盾に見えるかもしれませんが)
「机を離れ、効率的・効果的といったこととは
縁遠いことを(あえて)やる」
ことが結果として近道になるように思われます。
例えば本を読むとか、
家族と買い物に出かけるとか、
美術館や博物館に行くとか、
ぶらぶらするとか、
かえってそういう時間のなかで、
「!!!」
という瞬間が降りてくるようです。
「!!!」の瞬間を得ようとすればするほど、
真摯に考える、
机に向かって企画を立てる、
といったアプローチから離れる必要がある、
などというのは、
まじめに仕事に取り組む人にとって、
なかなか認めがたいものであるかもしれません。
けれども
「もっと閃きを!!!」
と一生懸命になればなるほど、
得たい結果からどんどん遠ざかっていく、
そんな、ある種の受け入れがたい結論が経験上、
現実に存在するように感じられるのです。
そうではなく反対に、いったん思考を緩めて、
互いに脈絡のない雑多な知識や経験を積み重ねて
いきながら、時間が経過することによって、
「(脳内の)腐葉土的土壌」が肥えていくことが、結果として、
「無用の用」的な役割をはたすことになり、
「種まきと収穫の最適化」を促すことにつながるのは間違いなさそうだ、
そんな風に今は考えています。
そして「価値が生まれる瞬間」にでてきたものが、お客様、従業員、社会にとっての
幸せを最大化するものにつながらなければなりません!!
今日も人生はハピネスに仕事はサクセスに!!
がんばっていきましょう‼
記事 / GO
数年前から世の中、何かあれば
「コスパ、コスパ」。
特にこの略語についての説明は不要だとは思いますが
私自身、プライベートでもほぼ使うことはありません。
社内の人間も皆どういうわけか「費用対効果」、もしくは「コストパフォーマンス」
と、略することなく発します。なぜでしょうか。
現代社会は日々更新される略語の嵐です。
我々はいつの間にか、さも前から使っていたかのように、
しかし流行を意識したニュアンスで新出略語を会話の中で登場させます。
限られた業界やネットで生まれた言葉が
現実世界や仮想空間の広域で認知されてくるともうそれは略語ではなくなり
在来語として無意識に認識してしまいます。
ためしに、たった1年間だけでも世を離れ、うつつを抜かしていると
一般会話は聞いたことのない外国語になってしまい我々は混沌に陥り戦慄することでしょう。
ではどうして我々は自ら生み出した濁流に必死に抗わなければならないという、
ある種のマゾヒズムとも言えるこの文化の発展を受け入れてきたのでしょうか。
そこには「長々と書く・言う」ことが面倒だ、紙の無駄だなどといった
効率化や経済性の追求以上の何かを感じられずにはいられません。
なぜならこういった利便性に対しての抑止力も働いているからです。
略する行為は時に無礼に相当することもあり、
たとえば初対面の目上の人との会話の中で
「私はパ・リーグ(パシフィック・リーグの略)が好きです。」
という発言は何ら問題ありません。
しかし次のような発言はいかがでしょうか。
「私の父親もヒラリーですよ。」
だめな気がする。
ヒラリー=平のサラリーマン
言葉の持つ意味ではなく、字面の軽々しさに不快感を抱かずにいられません。
ためしに発音してください。ヒラリー。
膝の力が抜けます。言われた側は意味も分からぬまま地面に伏すことになるのです。
つまり、略語文化は果たして推し進めるものか、
また慎んでいくものなのかよくわからないことになっているのです。
略語の歴史を紐解くと
日本では明治以前よりその文化は存在し
私は知りませんでしたが、「浴衣」や「お盆」も略語のようです。
ということは我々人間には前述した効率化を図ったりや、そもそもヒトの持つ面倒臭い習性の他に
「略したい行為・またはその欲求」というものがどうやら遺伝子に組み込まれているような気がします。
そう考えると私の周囲で
「コスパがすごい!」などと言う人が極端に少ない、ということは
限定エリアで遺伝能力が減退の途を辿っているのでしょうか。
これは由々しき事態です。
しかしながら答えはNOです。
あえてコスパ、と言わないアンチコスパ族は知っています。
この言葉を発した時に沸く言い知れぬ脱力感を。
これは遺伝子が持つ欲求云々とは全く別物であるのです。
「コスパ」はどこかの地域密着型スーパーの名前っぽい。
そんな連想をしてしまうのは私だけではないはず。
意味は費用対効果。わかっている。
だのに最初に頭に浮かぶのは大量のティッシュボックス、
そして大量の詰め替え用洗剤、
大量の菓子類と婦人用ブラウスが店舗外にて粗雑に展開されている平屋のスーパーだ。
看板には斜体の太字で力強いフォントだ。
そして、立地は荒野だ。
荒野でなければ「コスパ」ではない。
客は一様に紙袋を持参している。そんな愛された、少し哀愁漂うスーパーなのだ。
おそらく皆同じ思いなのだろう、「コスパがすごい。」と言わないのには理由があった。
そもそもコスパが凄いことにはならないからだ。
商圏は決まっている。一日の客数は数十年前から一定だ。
だからセールの必要がない。長く細く地元で頑張っている。
一時的にコスパが凄いということはない。
しかしその裏では絶え間ないコスパスタッフによる日々の改善が為されている。
毎日一定の客数を確保するにもそれなりの努力が必要だ。
だから、「実はコスパはすごい。」
という表現が合っている。しっくりくるのだ。
まあ何の話か分かりませんが、次回「元祖コスパpt.2」に続きます。
記事 / もーりー
今日は日本企業の技術の嬉しい話。
先日、
腎臓疾患の後遺症で生野菜や果物の摂取が制限されているお客様とお話をさせていただきました。
野菜や果物は、生の状態だとカリウムが多く含まれ、
腎臓を患うとカリウムの排泄が滞って体内に蓄積され、
血液中のカリウム濃度が上昇して不整脈に陥ることがあります。
そのため、そのまま生で食べるのは避けた方がよく、
水に溶けやすい性質のカリウムを茹でて少なくするなど、
食べるときに工夫がいるのです。
ですから、その方は大好きなミカンでさえ
火を通さなければならない、もしくは缶詰なら大丈夫とお医者さんに伝えられ
なぜ好きなミカンを茹でないといけないのかと嘆かれていました。
食事は今や生きるための不可欠要素の域を越え、嗜好品ともなっています。
病気のせいで食べたいものが食べれなくなるというのは
自分に置き換えるとやはり辛いものです。
同時に日常、生鮮食品をごく当たり前に口にすることの
ありがたさに気付かされました。
そんな折、ある知人からの情報提供がありました。
富士通の先端農業事業が
秋田県立大学の特許と会津富士加工(株)の技術により
カリウム含有率85%カットのレタスの栽培に成功したそうです。
昨年8月のニュースなのでご存じの方も多いかと思いますが
すでに出荷・販売も開始されているようです。
これで摂取制限されている方でもサラダが食べれるそうです。
このことがどれほど嬉しいことなのか、
それは腎臓疾患者の方々やその身内の方々、
また治療に関わる人々にしかわかり得ないことかもしれません。
目下、成功はレタスのみということですが
今後も様々な野菜や果物の栽培においての成功を祈るばかりです。
こういった日本の技術はコストや需要の有無などが原因で
活かされる場が少ないのが現状ですが、
知るだけでも希望が持てる、それだけで嬉しい出来事であることには変わりありません。
必死に日々切磋琢磨する研究員や技術者の姿を思い浮かべると
背筋が伸びる思いです。
負けてられません。
真面目な記事になりましたが、
あっとはんどメンバーは皆ほんと真面目なので
是非一度、バリアフリー体験館を見学という大義名分の下、
我々社員の見学、視察にいらっしゃって下さい。お待ちしております。
記事 / モーリー